“無料”ってなんだかな…

皆さんは”無料”という文字を見てどう思うだろう?
消費者側からしたら嬉しい言葉なんだろうと思う。でもこうして商売してみると”無料”という言葉が如何に生産性がなく、虚しい言葉か実感することが度々ある。
本来、お金が発生するものが無料になったら、そのしわ寄せはどこへ行くのだろう。消費者側ではないのは確かだ。
例えば、コロナ禍で需要の増えたネット通販。「〇〇円以上のご注文で送料無料」よく見かける文字だ。
物の配送をしたことがある人ならわかるだろうが、箱の大きさや重さで運賃は変わるし、運ぶ距離でも運賃は変わる。
(運ぶ距離はそれぞれなので今回省く。)注文したかったものは1つだけ。それだけだと送料がかかる。送料を無料にするために〇〇円以上という金額を満たす買い物をしたとしよう。そうした場合には箱の大きさや重さが変わるであろう。そうすると単純に送料も高くなるわけだ。送料が無料になれば、その送料を負担するのは販売元になるわけだ。そうなると単純に金銭的負担が増える。この状況下であれば、逆に物が買われているとも言える。しかし、そもそもはその消費者が欲しているから物が売れるわけで、その消費者が欲しくないものまで売るのはいかがなものなのだろうか?消費者も欲しいものを買ったのに相手に負担を強いているこの状況はいかがなものなのだろうか?果たしてそれらは本当に必要なことなのだろうか?日本人は良くも悪くも思いやり精神が旺盛だ。そういった日本人特有の文化や考えみたいなものが、あらゆる弊害を生んでいるようにも思うことがある。
国内だけで済むならばまだマシだろうが、先日のトンガでの災害、ロシアの侵攻。これによって海や空の便も変わるだろう。今までできていたものができなくなる不便さ。それによる弊害と活路など。世間ではやはりコロナがピックアップされ注目されるることが多く、埋もれてしまうのが今の現状だ。
海外の製品も扱っているし、今扱っている商材も原料を海外から仕入れたりしている。この先どうなるのかとても不安だ。安定した流通ができるのか。できなくなった場合にはどうするのか。価格が高騰すればこちらも料金の調整をしなくてはならない。悩みの種は暫くなくなりそうもない。根が張る前にこの悩みの種は刈り取りたいところだが難航しそうだ。